エッセンス

物事の本質はなにか考えていきたいと思っています。司法書士の仕事のこと、普通の人のIT利用についてもお話ししたい思います。

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ノスタルジックなコンピュータの話 その5

MicroSoftとWindows

MicroSoftはこのころ、MS-DOSがIBM-PCに標準搭載(IBM版ではPC-DOS)され、一気にコンピューターソフトの最大メーカーとなっていきました。

Windowsの開発が始まったのもこの頃ですが、当時Windows1.0を見たことがあります。マッキントッシュが発売されたのと同時期(ちょっと遅れた位)のことです。

なんと、Windows1.0はタイリング型のウィンドウを採用していました。タイリング型って、要するに今のようにオーバーラップしてウィンドウを表示できず、画面を縦横に分割してその部分部分でプログラムを動かすというものでした。今考えると笑っちゃいます。でも、当時の技術では、本当はこれのほうが通常で、マッキントッシュが異常だったとしかいいようがありません。

MS-DOSに対抗していたCP/Mは、キャラクタベースのオーバーラップウィンドウシステムを搭載した、コンカレントCP/Mなるものを開発し、これに対抗していました。私は、富士通のPCでこれを動かす仕事をしたのですが、結局発売はされず、日の目を見ずに終わったと記憶しています。世の中はMS-DOSの時代、MicorSoftにより蹴散らされたのでした。
この後、私は富士通でパソコンの開発から離れ(パソコンが半導体の事業部での開発から、情報処理事業部での開発に移管されたことによる)、TRONの開発に代りました。

マッキントッシュとWindowsはこれだけ性能・機能に差があったのですが、この当時の巨人IBMの力で、IBM-PCが売れ続け、Windowsは1990年になってWindows3.0を出してやっとレベル的にマッキントッシュに追いつき(まだまだ差があるという議論はここでは置いておきます)、Windows3.1になってアメリカで爆発的に売れたのでした。


この記事を書いていながら、間違いがあってはいけないと、なにがいつの年だったかを時々検索してWikipediaなどで確認をしていたのですが、次のところにOS開発の歴史がまとめられているのを発見したので、リンクしておきます。


パソコンOSの年表

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ノスタルジックなコンピュータの話 その4

ちょっと話はずれて、ワープロのお話です。

先日言った、マッキントッシュの報告書は手書きで書いたことを覚えています。
そう、まだワープロは一般に普及していませんでした。

私の大学の卒論は、ワープロで清書した覚えがあります。確か自宅のFM7を使って。出始めのワープロソフトを手に入れ(多分違法コピーして。すみません。もう時効だと思うので許して下さい、つうか、当時は当たり前にソフトをコピーしていた気がする)、ものすごく時間をかけて清書しました。

ワープロ専用機は、その数年前、一番最初に作ったのは東芝だったかと思うけど、第1号機が作成販売されました。数100万円以上はしたはずです。到底、普通の人には手が出せない。
その後、富士通がOASYSを作って、ワープロのNo.1メーカーになりました。親指シフトキーボードという独自のキーボードを登載して、一世を風靡し、その後しばらく、親指シフトキーボードは日本語入力に最適とされ、富士通のパソコンでは普通のJISキーボードと親指シフトキーボードを選択して購入できました。

まあ、そんなことはどうでもいいんですが、ともかく、この頃(1984年)からワープロが実用化し始め、私が入社した最初の1年は手書きで報告書を書いていましたが、2年目からは全てがワープロで作成するように代りました。初めのうちは、ワープロを使う方が手書きよりすっと手間が掛かったので、こんなもん使ってられるかと思っていたのが、使い慣れたら、いくらでも文書を書けるようになり、手書きで文書を書き気がしなくなりました。おかげで漢字はすっかり書けなくなりました。妻に馬鹿にされると、“漢字は親指が知っている”とうそぶいています。

富士通というワープロのNo.1メーカーにいたので、最も早くワープロを使い始めることになったのですが、このころから、ワープロ専用機とパソコンのワープロソフトが本格的に普及することになったのでした。ちなみに、JS-Ward改め、一太郎が発売されたのは、1985年のこと(Wikipediaによる)でした。






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ノスタルジックなコンピュータの話 その3

ノスタルジックなコンピュータの話その2での状況の中、私はFMシリーズのOSの開発という部署で仕事をしておりました。

当時のOSは、いまのWindowsのようなものではなく、キャラクタベースでコマンドを入力すると、結果が帰ってくるというような代物でした。
いまからみれば、なんじゃそりゃ、という代物ですが、いまでもWindowsのアクセサリに、コマンドプロンプトというプログラムが登録されているでしょう。あれが、パソコンの画面全体で動いていた、というものです。それはそれなりにパソコンを操作するには便利ではあったんですけどね。だから今でも残っている。

Windowsのコマンドプロンプトで動いているのは、MS-DOSであるわけですが、当時主流はCP/MというOSでした。
“初期のMS-DOS/PC DOS(の前身であるシアトルコンピュータプロダクツの86-DOS)は、CP/Mをモデルとして設計されたため、さまざまな面で類似点が見られる。(Wikipediaから引用)”とされているように、MS-DOSとCP/MはそっくりのOSでしたが、IBMがIBM-PCにMS-DOSを採用して登載したことで、一気にMS-DOSが主流となりました。

その時期に衝撃的だったのが、マッキントッシュの出現です。1984年、私が富士通に入社した年です。
アップルはすでにその前年にLisaというマシンを販売していたのですが、これは巨大で高価なパソコンでしたので、一般にはほとんど売れなかった。それを小型化して一般向けに販売されたのが、マッキントッシュでした。
この時代にすでに発売されたというのが、驚異です。

この時代、パソコンといえば、文字がパラパラ表示される、一応グラフィックで絵は描ける、という代物でしたが、マッキントッシュは現在のWindowsとほぼ同様のグラフィックベースのマルチウィンドウを実現していたのです。
当時のマッキントッシュには、ハードディスクは無く、フロッピィディスクでマルチウィンドウのOSが起動したのです。今考えると、よくできたものだと関心します。

なぜ、関係のないようなマッキントッシュの話をここでしだしたかというと、日本でも大きく話題にはなっていたものの、まだほとんど誰もマッキントッシュをさわった人がいないころ、私の机の上に、マッキントッシュが置かれたのでした。まだ新人だった私に、その調査をしろという(新人の勉強のためだったとは思われる)仕事が回され、マッキントッシュがどのように動くか調べ、報告書を作成したのでした。







| IT技術全般 | 01:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ノスタルジックなコンピュータの話 その2

さて、その後私は富士通に入社することになるのですが、富士通でのパソコン開発は不遇が続くことになります。
いくらいいマシンを作っても売れない!

時代は8ビットパソコンから16ビットパソコンになるわけですが、富士通は最初の16ビットパソコンで大失敗をしたのでした。

FM11という富士通最初の16ビットパソコンは、内部的には16ビットで外部的には8ビットの8088というCPUを採用してしまった。同時期に発売された、NECのPC98は、内部も外部も16ビットのCPU・8086を採用していた。このせいだけじゃなかったのかも知れないけど、とにかく最初の段階でのこの失敗が、その後長らく富士通のパソコン事業の低迷を招いてしまった。

“コンピュータ、ソフトがなければただの箱”というのは有名な話で、最初に売れたPC98には黙っていてもソフトウェアメーカーがソフトを開発するが、FM11やその後継機FM16βというパソコン用には、どこもソフトを開発してくれず、開発費を払ってなんとかPC98用のソフトをFM16βでも動くようにしてもらっていた。今と違い、当時はメーカーが違えば、パソコンの互換性がなく、PC98用のソフトはFM16βでは動かないのでした。それもで結局開発されるソフトの数が段違いで、マシンそのものは富士通のほうがよくても、誰も買ってくれない。

当時の統計では、NECが市場の5割超、富士通は3割くらいだったんだけど、この数字はまやかしで、富士通は法人営業でパソコンを大型コンピュータと抱き合わせ販売してなんとか台数を稼いでいたといわれており、実際の電気店での店頭販売では、PC98が9割といわれていました。

NECのPC98の寡占状態は、その後Windowsが主流となって、DOS/Vマシンと呼ばれるIBM-PC互換機が日本に上陸するまで続いたのでした。

| IT技術全般 | 00:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ノスタルジックなコンピュータの話

私のパソコン歴は古い。古いなんてもんじゃない。もしかしたら、これを読んでくれている人が生まれる前からパソコンを使っていた。そう、もう30年になる。その当時のパソコンを、今でいうパソコンと呼んでいいなら、ということになるけど。


8ビットのパソコンって、話では聞いたことがあるかもしれないけど、実際に触ったことがある人ってどれだけいるだろう。最初の完成品としての(自作用組み立てキットはそれより前にあった)パーソナルコンピュータといわれるもの(当時は、パソコン、マイコンという呼び方が混在していたけど)が日本で発売されたのが、1980年ころで、私がちょうど大学生になったころでした。
各社から次々と発売されたけど、一番有名なのが、NECのPC8001ではないかな。これが、その後のPC98シリーズにつながっていく。

私は、最初の発売から2年位した頃に、個人で買えるパソコンがあることを知り(最初はマニアのみが興味を示すもので、一般の人に宣伝されるようなものではありませんでした)、欲しくなってお金を貯めて、ちょっと出遅れたけど、日本一のコンピューターメーカーであった富士通が満を持して発売した、当時最高性能といわれたFM7というパソコンを買ったのでした(その後、それが高じて、私は富士通に就職することになり、パソコンの開発に関わることになった)。

当時のパソコンのスペックは、今から考えると驚くべきものです(マイナスの意味で)。

・メモリは64Kバイト
K(キロ)という単位がすごいよね。今はG(ギガ)でしょ。64Kって、1Gの約1万5千分の1。
これに、コンピュータを動かすプログラムの全部が入っていた。

・外部記憶装置はカセットテープレコーダー
ピーヒャラピーヒャラっていうモデムの音を聞いたことがある人はいるかも知れないけど、それを音声用カセットテープ(一応、音声用ではなく、データ用のカセットテープが売っていた)に録音してデータを保存したということです。最大でもたった64kのデータの保存と読込に異様に時間がかかった。
その後、しばらくして5インチフロッピーディスクが一般用として発売された。当時の容量は、256Kだったかと思う。それでも、入出力の速さは革命的であった。

・ディスプレイは640×200ドットの8色か、80×25行の文字
当初ディスプレイは、文字のみの表示だった(PC8001の最初のころ)。その後、ドット表示のグラフィックが表示できるようになった。今の原色の写真を表示できるのと比べればずっと劣るけど、メモリや外部記憶装置と比べれば、結構頑張っていたね。表示速度はどうしようもないけど。

いやー、これをパソコンと呼び、一式そろえると当時で50万円~100万円位したんだから、驚き。よくこんな高価なオモチャを買ったものだ。

話は続きます。



| IT技術全般 | 20:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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